第7回 人体実験としての先端医療----臓器移植・生殖技術・遺伝子治療----

 今回はいわゆる「先端医療」が含んでいる実験性について考えます。具体的には、臓器移植、体外受精などの生殖技術、それに遺伝子治療を取り上げますが、それぞれの技術的な詳細については解説する余裕がありませんので、参考図書のうち★をつけた文献をご覧下さい。

1.「実験性」

 臓器移植などの先端医療は、一般には「実験」というよりは「治療」であると考えられています。体外受精などの生殖技術は「不妊治療」として位置づけられていますし、遺伝子を操作することで発症やその可能性を抑える試みは「遺伝子治療」と呼ばれています。しかし、これらの医療はまだまだ実験的要素が含まれており、実態としては「治療」というよりはむしろ「実験」と呼ぶべき場合が少なくないと思われます。
 また、私は《治療は実験とはまったく別のもので、治療は実験ではありえず、実験であれば治療ではありえない》とは考えていません。たとえ「治療」として確立した医療措置であっても、いくばくかの実験的性質は必ず含まれています。また、たとえ「実験」であっても結果的に治療効果をもつこともあります。
 そこで、第一回の講義の冒頭で説明した「実験性」すなわち《結果が確定していないことを実地に試してみる、その試みであることの程度》という概念が重要になってきます。実験性は以下のような要素によって左右されると考えられます。

(1) 安全性/危険性
 一般に、安全性の高い医療措置は実験性が低く、危険性の高い医療措置はそれだけ実験性も高くなると考えられます。

(2) これまで実施された回数の多さ/少なさ
 すでに多数行われている医療措置は、それだけ成熟度が高くなって安全性も高くなっていると考えられますので、おおむね実験性は低いといえます。これに対して、実施例が非常に少ない措置や、実施している施設が限られている措置は、なお未知の危険があるかもしれないので、それだけ実験性も高くなります。

(3) 成功率の高さ/低さ
 成功率が高い場合、その医療措置の実験性は低いといえます。逆に、成功率が低い場合には失敗する可能性が高く、実験性も高くなります。

2. 臓器移植

 ひとくちに臓器移植といっても、実施数の多いもの(腎臓移植、角膜移植など)からほとんど行われたことのないもの(人工心臓移植、生体肺移植、ドミノ移植、腕や脚の移植など)、心臓死した人の遺体から提供された臓器で行えるもの(腎臓移植、角膜移植、骨移植、皮膚移植など)から生きた人や脳死状態の人の身体から提供された臓器でないと行えないもの(心臓移植、肝臓移植、肺移植、骨髄移植など)、臓器を摘出する際に提供者(ドナー)の身体を大きく侵襲するもの(心臓移植、肝臓移植、肺移植、腎臓移植、角膜移植、骨移植、皮膚移植、四肢の移植など)からあまり侵襲しないもの(人工臓器移植、輸血、骨髄移植など)、移植を受ける人(レシピエント)の身体を大きく侵襲するもの(心臓移植、肝臓移植、肺移植、腎臓移植、人工心臓移植など)からあまり侵襲しないもの(輸血など)、移植後の合併症や副作用が起こりやすくレシピエントが被る危険性が高いもの(異種移植、人工心臓移植、骨髄移植、心臓移植、肝臓移植、肺移植など)からあまり危険性が高くないもの(輸血、角膜移植、自家移植)まで、さまざまなものがあります。
 上述したように、実施数が多くすでに広く日常的に行われている臓器移植に関しては、技術的にかなり成熟しているので、これを行うことは実験性も低く「治療」と呼んでもさしつかえないかもしれません。腎臓移植や角膜移植などがこれに当たるでしょう。これに対し、これまでほとんど実施されたことがない移植を行うことは実験性が高く、「治療」というよりはむしろ「実験」といったほうがふさわしいといえます。とくに、その新奇さのゆえに実施報告そのものが貴重な症例報告になると予想され、初めから学会発表することを意図して行われる場合には、明らかに「実験」と呼んだほうがいいでしょう。現時点では、人工心臓の移植、生体肺移植、ドミノ移植、腕や脚の移植などがこれに該当します。脳死した人からの心臓移植や肝臓移植も、日本においてはまだ実施数や実施施設が少なく、実験的性格がかなり強いです。しかしながら、米国のようにほぼ日常的に行われるようになると、脳死した人からの心臓移植や肝臓移植も「実験」ではなく「治療」の範疇に入るようになるでしょう。現在「治療」と言ってよいような腎臓移植や角膜移植も、行われ始めた当初は「実験」と呼ぶほうがふさわしかったのです。
 また、レシピエントの被る危険性の高い移植も、実験的性格が強く、どちらかというと「治療」というよりは「実験」と呼んだほうがふさわしいでしょう。ヒヒやチンパンジーなどの心臓・肝臓などを移植する異種移植、人工心臓移植などがこの部類に含まれます。

3. 生殖技術----体外受精を中心に----

 今日、体外受精が行われてももはやニュースになることもなくなり、これまでに体外受精によって生まれた子どもは日本国内だけでも5万人以上にのぼるといわれています。しかし、依然としてその成功率は低く、胚移植一回ごとの出産率(受精卵を子宮内に戻して子どもの出産にまで至る率)は15%から20%程度といわれています。15%とすると、7回体外受精・胚移植を繰り返しても、3人に1人の女性は出産にまで至れないことになります((1-0.15)の7乗=0.85の7乗≒0.32≒1/3。本によっては「6回か7回[胚]移植を行えば[赤ちゃんが]生まれるだろう」などと、100%を越えるまで15%を単純に足し合わせればよいような記述がありますが、それがごく初歩的な誤りであることはいうまでもありません)。このように成功率の低い医療措置が堂々と「不妊《治療》」と呼ばれ、それをほとんど誰も怪しまなかったのは驚くべきことといわざるをえません。現在でも15%程度という成功率の低さは、体外受精という医療措置の実験性の高さを物語っています。
 しかも、体外受精の成功率が一見改善されているようにみえても、それは成熟した技術になってきたからだとは必ずしもいえません。体外受精の対象となる女性は、卵管閉塞など原因の限定された「不妊症患者」すなわち体外受精でなければ絶対に妊娠できない女性から、原因のはっきりしない「不妊症患者」つまり体外受精をしなくても妊娠できたかもしれない女性にまで、拡大されてきたのです。これでは、体外受精という医療措置そのものの成功率が本当に向上したのかどうかわかりません。
 さらに、体外受精は、卵管が閉塞していて出会えない精子と卵子を体外に取り出し受精させて子宮に戻すというだけで、卵管閉塞という不妊の原因そのものは「治療」せず放置しています。顕微受精でも、乏しい精子を人為的に卵子に入れるだけで、乏精子症そのものを治療しはしません。同様に、第三者の精子を用いた人工授精(AID)は無精子症自体をまったく改善しませんし、代理出産は着床・妊娠・出産に耐えられない女性本人を全然治療しません。このように、体外受精・顕微授精・代理出産などのいわゆる「生殖[補助]技術」は、疾患の原因を取り除くという近代医学的な「治療」の概念からは相当にかけ離れた医療です。
 しかも体外受精は、受精卵の操作を可能にする技術です。クローニング、ES細胞研究、受精卵への遺伝子治療などが、体外受精によって可能性を開かれました。その意味でも体外受精の開発は、将来の「実験」への道を開くための「実験」にほかならなかったのです。このことからしても、遺伝的につながりのある子どもを生めないカップルの切実なニーズに応えることを大義名分にして、体外受精を「不妊治療」と呼びならわすことは、大いに疑問が残ります。

4. 遺伝子治療

 遺伝子「治療」もまた、現在では実験段階でしかない医療措置です。このことは実施する医師たちも日本国政府もはっきりと認めています。現在、「遺伝子治療」を行う場合は、実施施設の倫理委員会で実験計画を審査するだけでなく、厚生省や文部省の審査と承認を得なければなりません。「遺伝子治療」で明確な治療成績が上がった実施例は、日本でも、すでに3000例以上行われている米国をはじめとする諸外国でも、現在のところまだ存在しないのが実状です。効果があるといわれている実施例(ADA欠損症への実施など)でも、他の治療法を併用しているために、「遺伝子治療」そのものの効果は確かめられていないのです。
 このように、明らかに実験にほかならないにもかかわらず「遺伝子治療」と呼ばれているのに、生命倫理学の専門家の間からすら、この呼称にいぶかしむ声がほとんど上がらないのは不思議なことです。現在の「遺伝子治療」は、せめて「遺伝子治療実験」とでも表現すべきです。医師が行えばどんなことでも「治療」になるというわけでは決してないのです。ここにも、日本の生命倫理学者の人体実験に対する見識のなさが露呈しています。医療には実験性が必ず含まれること、とくに開発段階にある先端医療技術については明白に「実験」が行われているのだということに、はっきり気づかなければなりません。

●参考図書
雨宮浩編『テキスト臓器移植』日本評論社、1998年★
中山研一・福間誠之編『臓器移植法ハンドブック』日本評論社、1998年、¥3000
レネイ・フォックス、ジュディス・スウェイジー『臓器交換社会----アメリカの現実・日本の近未来』青木書店、1999年、¥2600
共同通信社社会部移植取材班編著『凍れる心臓』共同通信社、1998年、¥1700
マーク・ダウィ『ドキュメント臓器移植』平凡社、1990年
粟屋剛『人体部品ビジネス----「臓器」商品化時代の現実』講談社(選書メチエ)1999年、¥1600
柘植あづみ『文化としての生殖技術----不妊治療にたずさわる医師の語り』松籟社、1999年、¥2800★
金城清子『生命誕生をめぐるバイオエシックス』日本評論社、1998年、¥2600
レナーテ・クライン編『不妊----いま何が行われているのか』晶文社、1991年、¥2800
松田一郎『動き出した遺伝子医療----差し迫った倫理的問題』裳華房、1999年、¥1400★

●練習問題
(1)「実験性」についての筆者の考えを批判的に検討しましょう。実験性を左右するのは、筆者の挙げている三つの要素で必要にして十分といえるでしょうか?