「自己決定」を「育てる」というムジュン?
 ──育てあい・育ちあいとしてのガイドヘルプ──

                                    

土屋貴志

1.「自己決定」という理念

 ●家や施設の中で「本人のため」という名目のもとにお仕着せや強制が行われてきたことの告発。
  :なぜそれが告発されるのか
  (1) 本人の意志に反している
   本人の意志があるのにそれを無視する
  (2) 本人の意志を育てない
   そもそも本人が自分の意志を持たなくなる。自分で選べなくなるようになる
    ……より深刻な弊害

 ●「自分のことは自分で決める」という主張。
  :その落とし穴
  (a) 本人の意志がはっきりしない人は決められない
   生まれてこのかた自分で決めたことがない人、選択を許されなかった人は、自分がどうしたいのかわからない
    *介助側が本人の意志を読み取れない、ということも
  (b) 意志を貫徹すると明らかに他者や本人に危害が及ぶ
   ・他者に危害が及ぶことをする自由はない。
    ……自由の根本原理(J. S. ミル『自由論』)
   ・本人だけに危害が及ぶことならしてもいいか?
     自殺、タバコ、深酒、奴隷になる契約、臓器売却、単純売春など
     *本当に他者に危害が及ばないのか?迷惑は及ぶのでは?
      ←「他者に迷惑」という名目で抑圧される可能性も
   ・危害が及ぶかどうかを見通せているか。結果に対して責任を取る覚悟があるか。
    「自己決定」=autonomy=「自律」。結果がどうなるかまで見通した上で、自分のすること(したいこと)を決め、結果に責任を持つ
     →見通せない人、責任を取れない人には決めさせられない
     ←いつまでたっても見通したり後始末したりするようにはなれない。「どうせわからないだろう」「責任がとれっこない」という切り捨て

 ◎「自己決定」という理念は、自分の意志をはっきりと持ち、自分のすることの結果を正確に見通し、責任をきちんと取れる「完成された人間」が、一人で生きていくことを念頭にして描かれている。
  ・そんな「完成された人間」なんているのか?
    私たちはみなどこか不完全な人間ではないのか?どんな場合でも自分の意志がはっきりしている人なんかいるのか?結果をどこまで真剣に考えているか?そもそも結果をそんなに正確に予測できるのか?すべての責任を取れるのか?
  ・私たちは一人ひとりバラバラに生きているのか?
    自分の意志って自分ひとりで決められるのか。むしろ他者と関わる中で選択肢が示され、他者の意志も考慮しながら、自分のすること(したいこと)を決めていくのではないか。「責任」も決して一人だけで取り切れてはいないのではないか。

 ●「自己決定」の意義
  ・お仕着せ/強制に対抗するスローガンとして
   :一人ひとりの意志を尊重せよ!
  ・自律する人を育てるためのスローガンとして
   :自分で決めるようにさせよう!
   ※「させる」のは本人ではない----本人が決定するように他者が仕向ける、自己決定するように他者が決定する、という逆説

2.「自己決定」を育てるという課題

◎ゆうゆうのガイドヘルプは「育てあい・育ちあい」であるという印象

  ・誰を育てようとしているか
   (1) メンバーを:「基本的支援」「人間的支援」に当たる?
   (2) ヘルパー、親、スタッフを:「人間的支援」に当たる?
   (3) 社会を:「社会的支援」に当たる?

  ・どのような方向に育っていくことを目指しているか
   (1) メンバー:自己決定する自律した人?「社会化」された人?
   (2) ヘルパー、親、スタッフ:メンバーの自己決定をささえる人、メンバーの社会参加を助ける人、どんな人でも分け隔てせずに尊重する人?
   ※(1) (2) に共通すること……自分にとって何が大切なのかわかり、他者と豊かにかかわってゆく中でそれを実現していく人?
   (3) 社会:「知的障害者」のレッテルを貼られた人が実際にどのような存在であり、彼らが何を思い、彼らにどのように接したらいいのか知ること。彼ら本人の意志とニーズに(せめて「健常者」に対するのと同じくらい)応えること。どんな人でもへつらったり見下したりしないで、その人となりを尊重していくこと。

 ●「ささえあいの原則」はガイドヘルプの心得として役に立つか?
  ……今後の検討課題
  根本原則:「共感」が達成されるように努めるべきである
  二次原則:
   (1) 相手にかかわっていこうとする
   (2) 相手の可能性を信じる
   (3) 事実に直面しそれを受け容れなければならないのはその人自身なのであって、他の人が代わってやることは決してできない
            (森岡編『「ささえあい」の人間学』法藏館、1994年より)