「医学犯罪」とは、医師によって、医学の名の下に行われた非人道的行為のことである。15年戦争期に日本によって行われた医学犯罪は、
(1) 生物兵器の使用
(2) 軍医の訓練(「手術演習」)
(3) 研究(人体実験)
に大別できる。


 日本軍が生物兵器を実際に使用したことについては数多くの史料と証言があるが、ここでは日本陸軍の幹部自身が業務日誌等に記していたことを取り上げる。被害者側の申し立てではなく加害者側の公式な記録だけに、動かぬ証拠といえるからである。これまでに発見された日誌等の記載は、日本軍が少なくとも3度、中国に対して生物兵器による大規模攻撃を行ったことを裏付けている。

 第一に、1940年、当時は支那派遣軍参謀であった井本熊男中佐は、731部隊の軍医将校と数回協議したことを業務日誌に記している。1940年10月7日には731部隊の幹部より、寧波への細菌攻撃について「今迄ノ攻撃回数六回」と報告を受けている (井本: 第9巻. 吉見・伊香 1993: 11)。中国側史料によると10月30日には寧波で多数のペスト患者が発生しているが、それはこれらの攻撃の結果であると推定されている。同年11月30日夜に井本は吉橋戒三支那派遣軍参謀から「ホ号に関する報告」を受けた。それによると、11月20日頃に石井四郎大佐は作戦終了に同意したものの、杭州と上海の中間で作戦を行うことを提案した。吉橋参謀の反論にあい石井はこの案を諦めたが、今度は紹興や諸曁への攻撃を持ち出した。そうして最終的には金華を攻撃することに決まったという (井本: 第10巻. 吉見・伊香 1993: 12)。これは中国側史料にある、11月28日午前11時頃、金華に日本軍機が飛来し、何物かを撒布した、落下してきた「魚卵状のねばねばとした、やや黄色がかった小さな顆粒」からペスト菌を確認した、という内容 (中央档案館ほか 1989. 江田ほか編訳『細菌作戦』1991: 106-107) と一致している。

 第二に、1941年9月16日に井本は日誌に「○ホ【原文は○囲みホ】ノ大陸指発令」と記している (井本: 第13巻. 吉見・伊香 1993: 14)。「○ホ」とは細菌戦のことであり「大陸指」とは「大本営陸軍部指示」の略である。すなわちこの記載は、細菌攻撃を実施せよという大本営の正式の指示が下されたということを意味している。11月25日の日誌には、長尾正夫支那派遣軍参謀から細菌戦についての報告として、11月4日朝に常徳にペストで汚染したノミ36kgを撒布し、

6/11 常徳附近ニ中毒流行(日本軍ハ飛行機一キニテ常徳附近ニ撒布セリ、之ニ触レタル者ハ猛烈ナル中毒ヲ起ス)
20/11頃猛烈ナル「ペスト」流行各戦区ヨリ衛生材料ヲ集収シアリ
(井本: 第14巻. 吉見・伊香 1993: 14)

とある。すなわち、11月6日に常徳周辺でペストが流行し始め、11月20日には激しい流行となったということである。

 第三に、1942年8月28日に井本は、長尾参謀の報告として「○ホ【原文は○囲みホ】ノ実施ノ現況」について、下記のように書いている。これは1942年4月18日に東京が米軍機に初めて空襲され、爆撃を行った米軍機が中国の淅カン【章へんにノ又貢】線(淅江省「淅」と江西省「カン」を通る鉄道線)沿線の飛行場に着陸したことがわかったので、これらの飛行場を破壊することを目的に行った日本陸軍の「淅カン作戦」の一環としてなされた細菌戦に関する報告である。

1、広信 Px(イ) 毒化ノミ
      (ロ) ノ鼠ニ注射シテ放ス
  広豊 (イ)
  玉山 (イ)
     (ロ)
     (ハ) 米ニPノ乾燥菌ヲ附着セシメ
       鼠−蚤−人間ノ感染ヲ狙フ
  江山 C ○a【原文は○囲みa】井戸ニ直接入レル
       ○b【原文は○囲みb】食物ニ附着セシム
       ○c【原文は○囲みc】果物ニ注射
  常山 右同
  衢県T、PAノミ
  麗水T、PAノミ
(井本: 第19巻. 吉見・伊香 1993: 19)

ここで「Px」および「P」とはペスト、「C」とはコレラ、「T」とはチフス、「PA」とはパラチフスのことである。すなわち、広信、広豊、玉山にはペスト菌で汚染したノミやネズミや米、江山と常山にはコレラ菌、衢県と麗水にはチフス菌およびパラチフス菌で汚染したノミを用いて攻撃を行ったということである。10月5日には井本は、731部隊の増田知貞軍医大佐より、地上での細菌攻撃の結果報告を受けて「Px(P其他)ハ先ツ成功?衢県Tハ井戸ニ入レタルモ之ハ成功セシカ如シ (水中ニテトケル)」(同上) と記しており、それらがいちおう成功したとみなしている。

 これらの攻撃から55年が経った1997年8月、細菌戦の被害者の遺族180名が、日本国政府に謝罪と賠償を求めて、東京地方裁判所に提訴した。2002年8月27日、東京地裁は、1947年の国家賠償法の施行以前の戦争被害については、賠償を国に求めることはできないとの理由で、原告の請求を退けた。原告は控訴したが、2005年7月19日、東京高等裁判所は同じ理由で控訴を棄却した。しかしながら裁判所は、上記のような細菌戦が行われたこと自体は、日本政府がまったく反証を行わず沈黙を通したため、事実として認定している。


文献一覧

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参考資料

1999年度大阪市立大学インターネット講座「人体実験の倫理学」第4回 日本軍による人体実験

日本生命倫理学会第20回年次大会(2008年11月29日、九州大学医学部)
大会企画シンポジウム1「戦争と研究倫理」報告
「戦時下における医学研究倫理──戦争は倫理を転倒させるのか」スライド


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