(1) 主な検事側証人

 ニュルンベルク医師裁判の検事団は二人の米国人医師から専門的な助言を仰いでいた。彼らは証人として法廷で証言するだけでなく、訴追準備のために資料を分析したり、人体実験の生存者の調査をしたり、人体実験の許容基準に関する覚書を提出したりした。その一人が、米国医師会から指名されてニュルンベルクへ派遣されたアンドリュー・C・アイヴィーであり、もう一人は連合国派遣軍最高司令部に命じられてニュルンベルクへ赴いたレオ・アレキサンダーである。この二人がニュルンベルク医師裁判で果たした役割はきわめて大きく、後述するようにニュルンベルク・コードも彼らの覚書をもとにして作成されている。

 アイヴィーは国際的に名を知られた生理学者・薬理学者であり、第二次大戦の初期には米国海軍医学研究所で嘱託として働いていた。その後ノースウェスタン大学医学部生理学・薬理学部門主任を経て、1946年から1953年までシカゴのイリノイ大学医学部副学部長を務めている [Grodin (1992) p.3; ACHRE (1996) pp.75-76; Shuster (1997) p. 1438]。米国医師会がアイヴィーを指名したのは、やり方は全く異なるものの、海水飲用実験や超高度実験など、ナチスが行ったのと同じテーマの実験研究を戦時中に行っていたことや、動物実験擁護論者として医学研究の倫理的側面に造詣が深かったことなどによるものと思われる [ACHRE, ibid.]。

 アレキサンダーは精神医学および神経学の専門家であり、1942年からは米国陸軍医師団 U.S. Army Medical Corps に加わって英国にある空軍基地に勤務していた。ニュルンベルクに派遣されたときは米国陸軍予備隊 U.S. Army Reserves の大佐になっており、生き残っていたナチス人体実験の被験者を大勢診察した。

 この二人の他にニュルンベルク・コードの成立に大きな影響を与えた検事側証人として、ドイツ人医師でエアランゲン大学の精神科医および医学史家であるヴェルナー・ライプブラントを挙げることができる [Shuster (1997)]。《20世紀初頭以来、ドイツの医師たちは、患者を生物学的現象の連なりからなる単なる対象とみなす「生物学的思考 biologic thinking」に染まってしまい、医師と患者の間の人間的な関係が破壊された》とライプブラントは考えていた。彼は法廷での証言の中で被験者の同意を得ずに実験を行う医師を強く非難し、そうした行為はこの「生物学的思考」のせいで生じたと主張した [ibid.]。

(2) 弁護側の反論

 一方、米国人検事団の訴追に対し、ドイツ人で構成された弁護団はさまざまな反論を展開して被告の弁護を試みた。M. グロディンはそれを以下の12点にまとめている [Grodin (1992) pp.132-133]。

1. 戦争と国の危機という状況下では、人体実験によって得られる知見によって軍および市民の生存を図ることは必要である。極端な状況は極端な行動を要求するものである。

2. 囚人を被験者として用いることは世界中で行われている。米国の刑務所で行われている人体実験もある。

3. 人体実験に利用された被収容者はすでに死刑が宣告されていた。したがって、実験に用いられ処刑を免れたことは被収容者の利益になっている。

4. 被験者は軍の指導者または被収容者たち自身によって選ばれているのだから、個々の医師たちは選別の責任を負えない。

5. 戦時には社会の全成員が戦争に協力しなければならない。これは軍関係者でも、市民でも、被収容者でも同じである。

6. 人体実験を行ったドイツ人医師たちはドイツの法律だけに従う(したがって米国法では裁けない)。

7. 研究の倫理に関する普遍的な基準は存在しない。基準は時と場所によって異なる。倫理的に問題のある人体実験は世界中で行われており、科学の進歩のためという理由で正当化されている。

8. 医師たちは人体実験を行わなければ生命の危険にさらされたり殺されたりしたかもしれない。さらに、彼らが実験を行わなければ、医師以外のずっと技術の劣った者が実験を行って、もっと大きな危害を被験者に加えていたかもしれない。

9. 人体実験が必要だと決定したのは国であり、医師たちは命令に従っただけである。

10. より大きな善を生み出したり多くの生命を救ったりするためには、少々の悪や誰かを殺すことが、しばしば必要となる。米国や英国はナチスの人体実験の成果を日本に対する戦いにおいて利用しており、実験が有用であったことは明らかである。

11. 被収容者たちは人体実験に参加することに暗黙の同意を与えていた。被験者の不同意を記した文書はないのだから、有効な同意があったとみなすべきである。

12. 人体実験なしには、科学と医学の進歩はありえない。

 たとえば、被告の一人G. ローゼは、ブヘンヴァルト収容所でのチフスワクチン実験に関する弁護側尋問に対し、実験の結果貴重な知見が得られたので「犠牲者は無駄に苦しんだり死んだりしたわけではない」[Katz (1972) p.300] と答えているが、これは上記の12点のうち10番目ないし12番目に相当する。
 また、被告S. ルッフは最終弁論趣意書で「明文化された法的基準が全くないので、医師は、法についてほとんど知らないこともあり、世界中で受け容れられていることを参照しそれに依存せざるを得ない」[ibid.] と書いているが、これは6番目ないし7番目にあたる。
 さらに、ヒトラーの侍医だったK. ブラントの弁護人R. セルヴァティウスは、被告たちは広島に原爆を投下した兵士と同じように、愛国心と国を守る必要性から人体実験を行ったのだと主張した。これは1番目と5番目に相当する。

 検事団はこうした弁護側の主張を反駁しようとしたが(1)、なかでも2番目の反論は容易に退けることができないものであった。
 セルヴァティウスは1947年1月27日、ライプブラントへの反対尋問において、米国イリノイ州ステートヴィル刑務所で戦時中に行われたマラリア実験を報じた『ライフ』誌の記事を引用しながら、米国でも囚人を用いた実験がしばしば被験者の同意を得ずに行われているではないかと指摘した。この尋問に対してライプブラントは、囚人たちは強制的状況下におかれており、同意を与えてもそれは自発的なものとはいえないと述べ、この米国の実験を厳しく批判する。ライプブラントの批判は、イリノイ州から来ていた検事団アドバイザーのアイヴィーを動揺させ、《米国内の実験はナチスの実験とは決定的に違うのだ》ということの論証へと駆り立てることになった。

 アイヴィーはシカゴへとって返してイリノイ州知事D. H. グリーンに、ステートヴィル刑務所のマラリア実験に関して、アイヴィー自ら委員長を務める調査委員会の設置を提案する。知事の名前を冠して「グリーン委員会 The Green Committee」と呼ばれたこの委員会は、委員長アイヴィーの他に医師二名、ユダヤ教のラビ、司祭でロヨラ大学社会学部長の社会学者、会社社長、弁護士の総勢7名で構成されることになった。
 しかし、1947年6月末、まだ一度も会合が開かれないまま、アイヴィーは「グリーン委員会の報告書」なるものを携えて、ニュルンベルク医師裁判に検事側証人として出廷する。そこでアイヴィーは、あたかも委員会での検討結果を踏まえたかのように自説を展開してライプブラントの批判を反駁し、イリノイの囚人実験に倫理的な問題はないと力説した(2)。しかも彼は、被告弁護側の反対尋問に答えて「私の記憶では、委員会の結成は1946年12月である」「この[グリーン]委員会の活動とこの[ニュルンベルク医師]裁判の間にはいかなる関連もない」[Harkness (1996) p.1674] と、明らかな偽証まで行っている。

 もっとも、三人の判事には、弁護側の反論はあまり影響を与えなかったといわれる。しかしながら、判決が単に「共同謀議」「戦争犯罪」「人道に反する罪」「犯罪組織への所属」の4つの訴追点について判断を下すのみならず、人体実験の普遍的な基準をニュルンベルク・コードとして明文化するところまで踏み込んだのは、やはり判事たちが弁護側の反論に答える必要性を感じたからであろう。その意味で、ニュルンベルク・コードは、まさしく弁護側反論をめぐる討論の中から生まれてきたのであり、その内容も弁護側反論の枠組に沿って構成されることになる。
(未完)


「ニュルンベルク・コード」(1947年)

1. 被験者の自発的な同意は絶対に欠かせない。
 これは被験者が、同意を与える法的な能力を持っていること、力や詐欺や欺瞞や拘束や出し抜きなどのいかなる要素の介入も、その他隠れた形の束縛や強制も受けることなく、自由に選択する力を行使できる状況にあるということ、および、理解した上で啓発された選択を行うために、被験者に行われることについての十分な知識と理解をもつこと、を意味している。最後の事柄は、被験者の実験に同意する決断を受け入れる前に、実験の本質と持続時間と目的、実験の方法と用いられる手段、合理的に予想されるあらゆる不便と危険性、そして実験に参加することで被験者の健康と人格に生じる可能性がある影響、が被験者に知らされているべきであるということを要求する。
 同意の質を確認する義務と責任は、実験を開始する者、指揮する者、ないし実験に関与する者すべてに負わされる。これは他人に委ねて罰を免れることはできない個人的な義務及び責任である。

2. 実験は、社会の善のために、他の研究方法や研究手段では得られない実りある成果をもたらすものであるべきであり、本質的に試行錯誤的であったり不必要なものであるべきではない。

3. 実験は、予見された結果が実験の実行を正当化するべく、動物実験の結果と、疾病や研究中の問題の自然の経過に関する知識に基づいて計画されているべきである。

4. 実験はあらゆる不要な身体的・心理的苦痛や傷害を避けるように行われるべきである。

5. いかなる実験も、死や障害が生じると思われるアプリオリな理由がある場合には行われるべきでない。ただし、おそらく、実験を行う医師もまた被験者となる実験を除く。

6. 実験の危険性の程度は、実験によって解決されるはずの問題の人道的重要性に応じた程度をけっして越えてはならない。

7. たとえ遠い可能性にすぎないとしても、傷害・障害ないし死から、被験者を護るべく、適切な準備と設備が整えられるべきである。

8. 実験は科学的に資格のある人物によって行われるべきである。実験を行う者ないし関与する者は、実験のすべての段階において、最高度の熟練とケアが要求されなければならない。

9. 実験の過程において被験者には、実験の続行が彼自身不可能に思われる身体的ないし心理的状態に達した場合、実験を終わらせる自由があるべきである。

10. 実験の過程において科学者は、彼に要求される確固たる信念と高度な技術と注意深い判断力のもと、実験の続行が被験者に傷害や障害や死を招くと思われる理由がある場合には、どんな段階でも実験を終わらせる準備がなければなければならない。

[Beals et al. (1947); Reprinted in Annas & Grodin (1992) p.102-103]


(1) 9番目の反論に関しては、ドイツ人医師である証人ライプブラントが、たとえ国が人体実験を命じたのだとしても、医師はその実行責任を免れることができない、と反駁している [Shuster (1997) p.1438]。

(2) グリーン委員会の「結論」としてアイヴィーは、刑期の短縮など実験参加への見返りが同意を誘導するほど大きいものであってはならないことや、凶悪犯の場合などは事前に減刑が期待できないと告げられなければならないことを述べた。彼はニュルンベルクでの証言後再びシカゴへ戻り、委員会の他のメンバーに自らの「結論」を送って検討を求めた。委員会は1947年の11月と12月に二度会合を開き、多少手直ししただけで基本的にはアイヴィーの「結論」を追認した報告書を知事に提出した。そこでは、米国で行われている囚人を用いた実験は倫理的に許容できるのみならず「理想的」で「被験者は全員志願者でいかなる強制も存在しない」とされている [Harkness (1996) p.1675]。


文献

Advisory Committee on Human Radiation Experiments [ACHRE]. (1996) "Postwar Professional Standards and Practices for Human Experiments." In: Final Report of the Advisory Committee on Human Radiation Experiments, Oxford University Press, Chapter 2, pp.74-96.

Annas, George J. & Grodin, Michael A. (eds.) (1992) The Nazi Doctors and the Nuremberg Code: Human Rights in Human Experimentation. Oxford University Press.

Beals, Walter B., Sebring, Harold L. & Crawford, Johnson T. (1947) "Judgement." In: Trials of War Criminals Before the Nuremberg Military Tribunals Under Control Law 10, Vol.1. Superintendent of Documents, U.S. Government Printing Office, 1950; Military Tribunal, Case 1, United States v. Karl Brandt et al., October 1946-April 1949, pp.171-184. Reprinted in Annas & Grodin (1992), pp.94-104.

Grodin, Michael A. (1992) "Historical Origins of the Nuremberg Code." In: Annas & Grodin (1992), pp.121-144.

Harkness, Jon M. (1996) "Nuremberg and the Issue of Wartime Experiments on US Prisoners: The Greene Committee." Journal of American Medical Association 276 (20) [November 27, 1996], pp.1672-1675.

Shuster, Evelyne. (1997) "Fifty Years Later: The Significance of the Nuremberg Code." The New England Journal of Medicine 337 (20) [November 13, 1997], pp.1436-1440.


【目次へ戻る】

【HOME】