倫理学概論1 第6回
規範を根拠づけるとはどういうことか②

●規範のレベル──特定の具体的な規範から、より一般的な規範へ
 実践的三段論法においては、結論と大前提が規範を表す命題になっています。そして特定の具体的な規範(結論)が、より抽象的な規範(大前提)を前提として正当化されています。たとえば、「人は自分の務めを果たすべきだ」という一般的で抽象的な規範が(大前提として)あり、その上で「医師は治療し救命するのが自分の務めを果たすことだ」という事実が(小前提として)あり、この二つの前提がどちらも正しいといえるなら、「医師は治療し救命すべきだ」という特定の規範が正しいといえます。
 そして、大前提となる規範の根拠を問うていくと、それは具体的なものから、より抽象的なものへとさかのぼっていくことになります。

 ある規範が正しいといえるための大前提を見出して、より抽象的な規範へとさかのぼっていき、もうそれ以上さかのぼれないときに大前提となっている究極的な規範のことを、倫理学用語で「原理 principle」と呼びます。十分に大前提をさかのぼっていった場合に見いだされる原理はきわめて抽象的で、ごく一般的な内容しか含んでおらず、それだけでは具体的に何をすべきか示しはしません。
 一方、原理を大前提として正当化される結論は、原理よりも具体的な指示を含む規範です。これを、原理と対比させて「規則 rule」と呼びます。

 同じ内容の規範が、原理として扱われることもあるし、規則として扱われることもあります。たとえば、「人を殺すな」という規範は、それ以上理由を問うことのできない究極的な原理とされることもあります(たとえば「殺してはいけないから殺してはいけないのだ」というように、それ以上理由づけができないとされた場合)し、さらに抽象的な規範によって正当化される規則とされることもあります(たとえば「人を殺してもよいことになるとみんなが不幸になり、みんなが不幸になることは避けるべきだから」といった理由づけがなされる場合)。

 また、本来は規則にすぎない規範が、それ以上理由を問うことを禁じられ、究極的な原理であるかのように扱われてしまうこともあります。たとえば、慣習的規範がそうすべき理由に触れてはならないタブーになっていたり、そう決まっている理由が説明されないまま校則に従うよう強制されたりする場合です。しかし、そのような場合でも、そうすべき理由をあえて分析していけば、そのタブーや校則の内容をなす規範が、じつは原理ではないことが明らかになるでしょう。

 さらに、本当にそれが原理といえるとき、はたしてそれは唯一の原理なのかを確かめることも大事です。それが唯一の原理ならば、あらゆる規範がその原理によって理由づけられる(正当化される)はずです。もし原理が複数あり、しかも互いに相容れないなら、それらの原理から導き出される規範も相容れず、どちらの規範に従うべきなのか葛藤に陥ってしまいます。そうした葛藤を避けられるよう、なんとか唯一の原理を見出せないか、古来、多くの倫理学的探究がなされてきました。

●事実に関する知識の重要性
 いっぽう、実践的三段論法を逆さに書いていく形式による正当化の整理は、事実に関する知識が規範的判断にとって非常に重要であることを明らかにしています。なぜなら、小前提となる事実命題がまちがっていれば、規範の正当化は失敗してしまうからです。
 たとえば、事例1についての話し合いで、【治療を行うべきだ】という理由として出された「治療しなければ医療者や親があとで心理的負担を負う可能性が高い」(A) は、もし「いや、その可能性は低い」という反論が事実として本当に真である(正しい)ならば、偽である(正しくない)ことになり、それを理由として【治療を行うべきだ】とはいえなくなります。
 一方、【治療を行うべきでない】という理由として出された「両親の経済的負担が大きい」(4) は、もし「いや、両親の経済的負担は大きくない」という反論が事実として本当に真である(正しい)ならば、偽である(正しくない)ことになり、それを理由にして【治療を行うべきでない】とは言えなくなります。
 このように、規範の正当化にとって小前提に当たる事実命題の真偽は非常に重要なので、「事実さえ解明されれば、妥当な規範はおのずと決定される」という考え方も生まれてきます。この考え方はしばしば、「倫理学(道徳哲学)は、規範に関する事実を検証する科学によっておきかえられる」という発想につながります。しかし、小前提の真偽は非常に重要ではありますが、規範の正当化はそれだけでなされるわけではありません。大前提である規範命題について、例えば実践的三段論法を逆さにした形式で分析していくこともまた、規範の正当化にとって欠かせません。そうした分析を行わなければ、規範を理由づけている小前提をそもそも見出すことができないからです。


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