カント『人倫の形而上学の基礎づけ』第3章 課題

1. 次の事柄について記されているテキスト(注を含む)の該当箇所にしるしをつけ、問いに答えて説明せよ。ないしは、[  ]をテキストの言葉で埋めよ。
(1) 自由とは、どのような原因性の特質か。自然必然性とどう異なるか
(2) 原因性の概念は何の概念を伴うか
(3) 絶対的に善なる意思と普遍的道徳法則を含む格率を結びつける「第三者」とは
(4)「一種の循環論」とは
(5) 人間が感性界に属すると同時に知性的世界に属すると考えざるを得ないこと
(6) 理性と悟性(Verstand)の違い
(7) 理性的な存在者(としての人間)が自らを眺める二つの立場
(8) 循環論はどのように解消したか
(9)「[   ]は[   ]の根拠をふくみ、したがってまた[   ]の[  ]の根拠をふくむ」
(10) 定言的命法はどのようにして可能になるか
(11)「人間はすべて、自分が[  ]な[  ]をもつと考えている。ある行為が現実にはなされなかったけれども、[         ]というような判断は、すべてそこから由来する。しかしながらこの[  ]は[     ]ではなく、またそれでありえない」
(12) 実践的理性がその限界を越えるのはどういう場合か
(13)「[      ]は、[  ]が自己を[   ]と考えるために現象の外部に採らざるををえなくなったところの、ひとつの見地にすぎない」
(14)「次の場合には[  ]はそのすべての限界を超え出ることになるであろう。すなわち、いかにして[    ]は[   ]となりうるかを[  ]することを[  ]があえてする場合である」
「いったいわれわれが[  ]erklären しうるものは、[       ]の中に与えられうる[  ]についての[  ]に帰着させうるもの以外にはない」
「[    ]による限定が存在しなくなれば、あらゆる[  ]Erklärung もまた存在しなくなり、残るのは[  ]Verteidigung のみである」
(15)「意志の自由を[      ]zu erklären が主観的に不可能であることは、人間が[    ]に対して抱きうる[  ]を発見し説明することの不可能であることと、同じことがらである」
(16)「或る人々は、【道徳的感情を】われわれの道徳的判断の基準であると主張したがそれは誤りである。というのは、道徳的感情はむしろ[    ]が[  ]に及ぼす[     ]と見なさなければならないのであって、[  ]に対して客観的根拠を与えるものは[  ]でなくてただ[  ]のみだからである」
(17)「[    ]がわれわれの[  ]をひくがゆえに、われわれに対して妥当性を持つのではなく【中略】逆に、[    ]がわれわれ人間に妥当するがゆえにそれはわれわれの[  ]をひくのである」
(18) 知性的世界とは何を意味するのか
(19)「人間理性の原理の限界にまでつきすすむ哲学」に対して、どういうことが「正当に要求しうるすべて」なのか


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